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戦後、熱意ある人々による同和教育実践が拡がりをみせる中、三重県においても1952年、四日市同和教育研究会が結成され、さらに関係者の努力により1953年7月、三重県教育委員会主催による同和教育研究大会が開催されました。
この大会において、県内諸団体による同和教育研究団体の結成が提案され、満場一致で可決され、同年12月、三重県同和教育研究会結成総会が開催されました。
これとあわせて、県内各地域での同和教育実践も拡がりをみせ、多くの市町村で研究会が組織されるようになりました。そこで、1967年には、各地の研究組織の協議体としての三重県同和教育研究協議会(三同教)となり、研究大会を中心に県内各地の実践交流、研究協議をはかりながら、同和教育の推進、深化、充実に寄与してきました。
2002年には、同和教育を人権教育の重要な柱とし、あらゆる差別を解消し、全ての子どもたちが自己実現を図ることのできる教育の創造をめざして、三重県人権・同和教育研究協議会と組織名称を変更しました。
2005年1月には、県内各地の教職員、行政関係者、関係機関、関係者等の人権教育、人権啓発の取組の公益性が認められ、社団法人三重県人権教育研究協議会として新たな歩みを始めました。
2008年、国の公益法人制度改革により、それまでの社団法人は特例民法法人という位置づけとなり、2013年11月までに、一般社団法人か公益社団法人に移行することとされ、2012年、高い公益性を認定されて公益社団法人三重県人権教育研究協議会となりました。
かつて私たちの先達は、「今日も机にあの子がいない」という長欠・不就学の現実に直面し、部落に出かけ、その差別の現実に驚き、胸をいため、怒り、自らが「どこに立つのか」「何をするのか」を問い続け、子どもとともに歩む決意をしました。
同和教育は「差別の現実から深く学び、生活を高め、未来を保障する」ことを原点とし、その営みは、具体的な差別の不当性に対する認識と、進路保障をめざした課題解決の道筋を獲得するとともに、私たちの自己の変革・意識改革をともなう課題に重ねられながら発展してきました。それは、部落の子どもたちの学習権の保障や、進路を展望していくことにとどまらず、すべての子どもたちの未来をきり拓き、すべての人々が安心して暮らすことができる社会の実現をめざすことでもありました。
「三重県人権・同和教育研究協議会」は1953年の結成以来、半世紀にわたり部落差別をはじめ一切の差別を許さない教育内容の創造をめざし、すべての市町村・高等学校等における人権・同和教育研究組織の協議体として、学校教育や社会教育、地域における教育の実践交流・研究協議を精力的に行ってきました。
また、「三重県解放保育研究会」は、乳幼児期の子どもの権利と女性の働く権利の保障を求めて始まった解放保育運動の理念の具現化を図るため、1983年に結成されました。以来20年余、「地域ぐるみの子育て」にこだわりながら、子どもや保護者とともに人権を大切にする保育の実践・研究を積み上げてきました。
「人権教育のための国連10年」が提唱した「人権という普遍的な文化の形成」をめざすその潮流は、本年、「人権教育のための世界プログラム」として受け継がれます。また、国内においては昨年、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」を具 体化するため、文部科学省から「人権教育の指導方法等の在り方について〔第1次とりまとめ〕」が公表されました。さまざまな社会的課題を克服していく取り組みを構築するために、人権教育への期待とその果たすべき責任はますます高まっていると言えます。 三重県においても人権・平和・環境を基調とした社会を築いていくことが一層求められています。そのためには、より広範な人々や組織が協働していく場があらためて必要になります。
「三重県人権・同和教育研究協議会」は「三重県解放保育研究会」との合併を視野に入れながら、それぞれがこれまで培ってきた実践・研究の成果やリーダー育成の手法、さらに組織的・人的ネットワークを統合・再構築することで、「人権が尊重される三重をつくる条例」ならびに「三重県人権教育基本方針」「三重県人権保育基本方針」等がさし示す具体像を実現したいと考えます。そして、より確かな社会的信頼と公共性・公益性を備えた組織として、「差別の現実から深く学ぶ」という視点を普遍化し、これからの新たな社会状況を見据え、すべての子どもたち、すべての人々の人権確立と自己実現のための教育内容の創造をさらに深化・充実させていきます。
今ここに、私たちは、社団法人三重県人権教育研究協議会を設立し、この目的を図ろうとするものです。
2005年1月31日